消えゆく「居場所」が教えてくれたこと─映画『沼影市民プール』とゲイコミュニティの記憶

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埼玉県さいたま市にかつて存在した「沼影市民プール」

1971年のオープン以来、52年間にわたって延べ約600万人もの人々に愛されてきた市民プールですが、再開発(小中一貫校の建設など)に伴い、2024年3月末にその歴史に幕を下ろしました。 

このプールの閉鎖までの「最後の49日間」を追い、国内外の映画祭で高く評価されているドキュメンタリー映画が、太田信吾監督の『沼影市民プール』です。 

単なる「懐かしい場所の記録」にとどまらず、この映画とプールの歴史を語る上で欠かせないのが、ゲイコミュニティとの深いかかわりです。

◯ 関東屈指の「オープンな遊び場」としての歴史

海のないさいたま市において、夏のレジャーや健康づくりの場であったことはもちろん、沼影市民プールは、いつしか関東を代表する「ゲイに人気のレジャープール」としても広く知られる存在になっていました。

広大な敷地や開放的なプールサイド、そして適度な賑わいは、多様な人々が境界なく過ごせる貴重な公共空間でした。特別に隔離された場所ではなく、地域住民や家族連れ、子どもたちと同じ空間に混ざり合いながら、ゲイの男性たちにとっても友人知人と集える「定番のサードプレイス」として機能していたのです。

「このプールがなくなったら、みんなどこで出会うんだろう」

そんな常連客たちのリアルな呟きには、単なるレジャー施設の消滅にとどまらない、コミュニティの拠り所を失う切実な思いがにじみ出ています。 

◯ 「喪失」と向き合うドキュメンタリー

映画『沼影市民プール』は、そうした多様な人々が織りなしてきた日常の営みや、プールへの愛着を丁寧にすくい上げています。

作中では、精神科医エリザベス・キューブラー=ロスが提唱した「死の受容の5段階(否認・怒り・取引・抑うつ・受容)」のモチーフが取り入れられています。長年親しんだ公共空間や、かけがえのない「居場所」が都市開発によって奪われていくとき、人はその現実をどう受け入れ、心の中でどう消化していけばいいのか──。

住民運動の是非を超えて、失うことの痛みに向き合う人々の姿が描かれます。 

高齢者の健康づくりの場、子どもたちの夏の思い出の場、そして制度的な支えがまだ十分とはいえないLGBTQ+の人々が自然体でいられる拠り所。それぞれの人生のワンシーンを「プールした(溜め込んだ)」この場所の終焉は、私たちが普段何気なく過ごしている「公共空間」の本当の価値を静かに問いかけてきます。

街の姿が変わっていく中で、私たちが心に抱える「喪失感」とどう向き合うのか。エンディングを迎えたあと、自分自身の記憶の中にある大切な場所へと思いを馳せずにはいられない、味わい深い作品です。

映画 沼影市民プール
https://numakage-film.com/

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