少し前、Xで「某所上澄み乱交パーティ」という言葉を見かけた。
実際にどんな集まりだったのか、どこまで事実なのかは知らない。Xなので、事実と冗談と誇張が混ざっている可能性もある。
その時は上澄み、という言葉がついていたので、妙に頭に残ったのだが、そもそも、筆者はこれまで、一度も普通の、乱交パーティにすら参加したことがない。誘われたこともなかった。
ゲイとしてそれなりに長く生きてきたのに、この世界については完全に外側にいる。
だから、単純に疑問に思ったことがある。
人は、なぜ乱交するのだろう。
セックスをしたいだけなら、一対一でもできる。
タイプの相手が見つかれば、それで十分ではないのか。
わざわざ三人、四人、あるいはもっと多くの人間が同じ場所に集まることに、何があるのだろう。
実は筆者にも、一度だけ複数人でセックスをした経験がある。
そして、そのときの自分は見事なくらい「乱交」に向いていなかった。
⸻ 深圳まで男を追いかけたら、3Pが用意されていた
ソンクランで知り合った中国人男性がいた。
気になってしまい、後日、その人に会うために深圳まで行った。
今考えても、なかなかの行動力である。
こちらとしては当然、その男性と二人で会うつもりだった。
ところが深圳で会ってみると、もう一人男性がいた。
どうやら3Pのセッティングがされている。
そんな話は聞いていなかった。
とはいえ、一人の男を追いかけて深圳まで来てしまった手前もある。
結局、しぶしぶ三人でそういうことになった。
ところが始まってみると、どうにもしっくりこなかった。
三人同時に関わることが、自分にはうまくできない。
結局、一人と関わり、そのあともう一人と関わるような形になった。
三人で同じ部屋にいるのに、やっていることはほとんど一対一だった。
そのとき分かった。
自分はどうやら、人数が増えることそのものにはあまり興奮しない。
一人の相手を見て、その人の反応を感じながら関係が進んでいくほうが性に合っているらしい。
だから「乱交パーティ」という言葉を見ると、いまだに少し不思議なのだ。
自分にはしっくりこなかったものが、なぜ誰かにとってはわざわざ集まってまでやりたいことになるのだろう。
⸻ 昔の日本にも、人が集まる「性の場所」があった
その疑問から日本の性風俗を調べてみると、古代の「歌垣」に行き着いた。
『常陸国風土記』には、春や秋になると各地から男女が筑波山へ集まり、飲食しながら交流した様子が記されている。
『万葉集』にも筑波山の嬥歌について、「人妻に我も交らむ」「我が妻に人も言問へ」という、現代人にはかなり大胆に聞こえる表現が残されている。
これだけ読むと、「昔の日本にも乱交パーティがあったのか」と考えたくなる。
ただ、研究ではそこまで単純には考えられていない。
歌垣の場で大勢が同時に性交していたと確認できるわけではなく、多くの男女が集まり、歌を交わし、恋人や結婚相手を探す場だったと見るほうが慎重だ。
つまり、ここで注目したいのは「乱交していたか」ではない。
大勢の男女が、日常とは違う場所へわざわざ集まっていたことだ。
普段の生活では起きない出会いが、そこへ行けば起こる。
いつもの自分とは少し違う振る舞いも、その場所ならできる。
性や恋愛には昔から、そういう「場所」、つまり性地が必要だったのかもしれない。
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夜這いも、実は「大勢でセックスする話」ではない
近代以前の一部の農村には、若者組や若者宿、娘宿などがあり、男女交際や婚姻にも関わっていた。
夜這いも、その中で語られる。
もちろん地域差は大きいし、女性にとって歓迎できる制度ではなかったことを示す証言もあるので、美化はできない。
それでも現代と大きく違うのは、性が今ほど完全な私生活ではなかったことだ。
誰と誰が付き合っているのかを周囲が知っている。
妊娠すれば、親や共同体も関わる。
行為自体は一対一でも、それを取り巻く仕組みは集団の中にあった。つまり「村」だ。
ここで少し考えておくべきことがある。
人が組織的に性を扱うことと、乱交することは、同じではない。
ただ、性は、ときどき人が集まる場所に置かれてきた。
⸻ ゲイにとって「性地」はことさら重要だった
この話をゲイの歴史に重ねると、少し意味が変わってくる。
男性が女性を好きになることを前提に社会ができていれば、異性愛の男女は日常生活の中でも出会える。
でもゲイの場合、目の前に男性が百人いても、誰が男性を好きなのかは分からない。
だから戦後のゲイ文化では、まず「同じ人を見つけること」が重要だった。
雑誌ができ、ゲイバーができ、新宿二丁目のような街ができ、発展場も生まれた。
そこへ行けば、男が男を求めていることを説明しなくてもいい。
特に発展場では、名前や職業を知らなくても関係が成立することがある。
つまり発展場は、単にセックスをする場所でもあり、自分と同じ欲望を持つ人間=仲間、同じ村人が実際に存在していることを、身体で確認できる場所
でもあったのだと思う。
⸻ ところが、現代は状況が変わった。今はアプリで一人を探せる
iPhone4発売以降、この状況は大きく変わった。
今ならアプリを開けば近くにいるゲイが見える。写真もあり、距離も分かる。メッセージも送れる。
一対一の相手を探すだけなら、わざわざどこかへ出かける必要はなくなった。
しかし、それなのに二丁目はなくならない。発展場もなくならない。
そして乱交パーティのように、わざわざ複数人が一つの場所に集まることも続いている。
それは、やはり集団セックスが一対一よりも楽しいものだからなのだろうか?
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一対一では、「相手」しかいない。一対一のセックスでは、世界はかなり小さい。自分と相手。基本的にはそれで完結する。
でも複数人になると、そこに「場」が生まれる。
自分が誰かを見るだけではなく、誰かに見られている。自分が選ぶだけでもなく、周囲でも選択が起きている。自分と相手の関係だけではなく、部屋全体に仲間が存在している。
おそらく乱交を好む人にとっては、その場への所属が心地よいのではないだろうか?ましてや上澄み限定乱パならば尚のことだ。
筆者が深圳で居心地の悪さを感じたのも、逆に言えばそこだった。
自分は「場」より「相手」を見ていた。
だから結局、三人いても一対一に分解してしまった。
むしろ、一対一の最中のもう一人の存在が邪魔だとさえ感じた。
多少興奮したのは、もう片方が眠った時に、起こさないようにもう一人と2回戦に及んだ時だった。
乱交が好きな人は、おそらくそのように分解しない。複数であることを、そのまま楽しむ。そこに大きな違いがある。
⸻ 歌垣と現代の乱交パーティ
この二つの唯一の共通点は、「なぜ人がわざわざ集まるのか」という一点だけである。
一人の相手を効率よく探すだけなら、今も昔も大勢で集まる必要はない。それでも集まる。
そこへ行けば、自分と同じ目的の仲間がいるからだ。
歌垣では、それが求愛や結婚相手探しだった。
ゲイの発展場では、セックスの欲望だった。
乱交パーティでは、その欲望がさらに「選ばれた人々」によって所属性が高まり、連帯感のもと同じ時間と空間に集められる。
人は単純な性欲だけでなく、場の共有と所属そのものにも何か魅力を感じるらしい。
⸻ そして、深圳の二人はそれぞれ女性と結婚した
深圳で同じ部屋にいた中国人男性二人は、その後、それぞれ女性と結婚した。
そして、それぞれ子どもを持った。
あの夜のことだけを見れば、三人とも男性同士でセックスをしている。でも、それだけではその後の人生までは分からない。
彼らが自分自身のセクシュアリティをどう捉えていたのかも、筆者には分からない。
男性も好きだったのかもしれないし、女性も好きだったのかもしれない。いや、もっと現実的なのは中国社会の婚姻圧力のほうを疑うべきだろう。
ただ一つ分かるのは、あの夜だけは三人とも同じ性地にいたということだ。
そして朝が来れば、それぞれ自分の生活へ戻った。一人は北京に、もう一人は長沙へ、そして自分は東京へ
その後、二人は女性と家庭をつくり子供をもうけた。筆者は日本でパートナーと暮らしている。
同じ性行為をしたからといって、同じアイデンティティになるわけでも、同じ人生を選ぶわけでもない。
むしろ、だからこそ「乱交」という場が面白いのかもしれない。
普段なら違う場所に生きている人間が、その数時間だけ、性地に集まり、一つの欲望を共有するからだ。
しかし、そのことをふまえても、やっぱり筆者はやっぱり一対一がいい。

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